日本のバレリーナの草分けで、夫の故・清水正夫さんと共に松山バレエ団を創設した同団名誉芸術監督の松山樹子(まつやま・みきこ、本名清水樹子〈しみず・みきこ〉)さんが22日、急性心不全で死去した。98歳だった。葬儀式は6月30日、東京都港区南青山2の26の38の青山梅窓院で。喪主は松山バレエ団総代表で長男の清水哲太郎さん。
鹿児島県出身。1936年、日劇のクラシックバレエ科1期生に選ばれた。その後、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)ピアノ科に入学、東勇作バレエ団ではプリマバレリーナとして活躍した。終戦翌年の46年、評論家の芦原英了さんらが結成したバレエ団の「白鳥の湖」公演に服部智恵子さん、島田廣さんらと参加し、帝国劇場で1カ月間のロングランを記録した。
48年、正夫さんと松山バレエ団、松山バレエ学校を創立。古典バレエに加え、現代の人間の生き方を投影する創作バレエに力を入れ、55年に中国の民話に基づく革命歌劇「白毛女(はくもうじょ)」をバレエ化。58年には周恩来氏の招きで中国公演を果たした。「赤い陣羽織」「高野聖」「バフチサライの泉」など、文学や民俗舞踊の要素をとりこんだバレエを多数発表した。
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